「普通」を言語化しよう

私の根幹の思想は「幸せとは子供を育てること」なんですよ。

そもそも私達人間は繁栄を目的とした生き物で、その直接の手段である子育てが一番の幸せだと思うわけです。
そういう幸せを追うことが「普通」のはずだったのですが、最近はその「普通」を理解できない人たちの勢力が増えてきてるように感じます。

結婚離れ、子ども離れ、挙句の果てに幼稚園に苦情。
こんな状態で日本のGDPが上がらないとか言われても自業自得としか思えません。

繁栄にはマンパワーが必要です。極論を言えば、人口減少しているのに繁栄は有りえません。
一人あたりのGDPも下がってきてますが、若者が減って老人が増えるのであれば当然。働き方の問題なんかは副次的な原因です。

幸せの形にも色々あると思ってる人もいると思いますが、子供を育てるという「普通」の幸せを追わない人間は最終的には人生に後悔するのでは?と危惧しています。
刹那的な幸福は星の数ほどありますが、人生の枠組みでの幸せで考えれば、子供を育てること以上の幸せはないでしょう。

で、何がいいたいかといえばその「普通」の幸せを理解できない人、特に若者が増えてるのが問題だよ、という話です。
いままで先人が当たり前のように理解していた「普通」の幸せが、今の人達にとっては「普通」ではないのです。

今の若者はそんなことも理解できないのか!?と憤る人もいると思いますが、それは時代が違うからです。
世界中の情報に触れることができる現代、視野が広がりすぎて考えることが多すぎて、「普通」の幸せに気づくことができにくくなっています。

なので「普通」というマジックワードで済ませるのではなく、なぜその子供を育てることが幸せに繋がるのかを理解している人がちゃんと伝えていくことが、現代社会では必要なのではないでしょうか。
「普通」ではなく、ちゃんとした理論で説明して、人生を後悔しないためのアドバイスを行う、「普通」の言語化が必要なわけです。

というわけで以下、「普通」の幸せの言語化になります。
まず、人間という生物の目標は種の繁栄です。
「種の繁栄が至上命題」という理論の根幹についてもいずれ言語化しようと思ってるのですが、長い上にそこまで面白くないと思うので割愛するとして。

人は必ず死にます。必ず自分という個体が1つ減り、局所的に人類という種族は衰退します。
種の繁栄が至上命題である以上、種の衰退はとてつもないストレスであり、だからこそ人間は潜在的に死に恐怖しているわけです。

必ず来る死。必ず来る種の衰退に対抗する手段が、人は子を育て種を繁栄するということになります。
それ以外の手段はありません。刹那的な幸せでは、どうやってもその死の恐怖を克服することはできません。どうやったって衰退しているわけですから。

皆さんはどうして年上の方々、強い言葉を使えば老害の人たちが、揃いも揃って「結婚しろ」「子供を生め」といってるか不思議に思ったことはありませんか?
それはバイアスがかかっています。「普通」の幸せを掴めなかった人は歴史の表舞台、若者と接点を持つ世界の中心から離れていきます。若者と接することができる世界に参加している高齢の方々はみな「普通」の幸せを追ってきた人たちであり、だからこそ口をそろえて「子供を生め」とアドバイスするわけです。

なぜ歴史の表舞台から遠ざかっていくのかといえば、高齢になれば誰しも「普通」の幸せに気づくからです。
そして気づいてしまった以上、「普通」の幸せを目指してなかった人は幸せになれなかった負い目から遠ざかっていくわけです。残るのは救われない高齢者であり、そのような人がお店での悪質なクレーマーになったりします。

ちなみに世間ではおじさんよりおばさんの方が悪質なクレーマーが多いです。理由はつながっていて、女性は子供を宿せるというとても素敵な性で種の繁栄の幸せに関しては男性よりも数倍の多幸感を得られますが、反面「普通」の幸せを掴めなかった場合の負い目も男性以上に感じます。そうして男性よりもより負い目を感じるために、迷惑おばさんになることが多いのだと思います。

話が脱線しましたが、要するに死という種の衰退に対する焦燥感を埋めるには、子育てという種の繁栄による充足感しかないというわけです。
勿論、別に結婚して子供を育てるだけが子育てではありません。

子供の声がうるさくてもある程度は我慢する。悪いことをしている他人の子供を注意する。困ってる母親がいたら助ける。もちろん金銭的な支援も立派な子育てです。
そうやって自分の子供ではなくても子育てをすることで、自分は子育てに参加したという気持ち、種の繁栄の一助をなしたという気持ちが最終的な死を迎える場面で、笑って死ねる助けになります。

もう40歳を超えてしまった方でも遅くはありません。自分は親に向いてないと思う方も、子供が生めない方も幸せになれないわけではないです。
子育てに参加したという経歴、積み重ねは、必ず自分の自信になり、最終的な幸せの獲得への一助になります。

なぜ子育て=「普通」の幸せなのかといえば、結論を言えばそれが死の恐怖に対する唯一の対抗手段だから、というのが結論です。
最近「今が楽しければいい」「結婚するとか損しかない」という人が多く、そしてそれがある程度支持されている現状を嘆いている私です。