民主主義の脆弱性について

1/1の早朝、朝まで生テレビ(以下朝生)という番組を視聴しました。

 

私の一番の収穫は落合陽一という人を知れたというただ一点で、私が最近いかにアンテナを伸ばしてないかが浮き彫りになってしまいました。ちょっと反省。

 

朝生の議論の中で愚民観について触れるシーンがありました。ウーマンラッシュアワーの村本さんが憲法9条第2項を知らず、そして私はわからないから説明してくれというシーンですね。

 

私は幸運にも浅田次郎という作家に出会っており、彼の小説、随筆では何度も沖縄問題、自衛隊問題が挙げられていたため私も興味を持っており、今回の改憲2項削除派、しかし国民選挙という壁があるため3項追加止む無しという意見なのですが、彼は恐らく不幸にも触れる機会がなかった、もしくはテレビの前の国民のためにわざと無知を装ったのでしょう。

 

彼の発言について嫌悪感があったためその理由について思いを巡らせていたのですが、その中で民主主義の脆弱性について具体的な意見が私の中で出来上がりました。

 

民主主義、わかりやすく言えば多数決社会なのですが、この世界が正常に成り立つためには社会人全員が知識があり、合理性と正当性と成長性を持ち合わせているという条件を満たしてる必要があるんですね。

 

そして全員がその観点で最大幸福を目指した場合、その中で一番数の多い方針が社会という範疇で見た際に最大幸福を取り得る方針であることが証明されるため、その点において民主主義は優れた社会形態であると言えるわけです。

 

それは、無理、ですね。

 

独裁とは言わずとも、一部の有識者のみで方針を決定していた社会で、政治に参加できない一般市民はこう思ったはずです。

「私たちも政治に参加したい!」

そして民主主義になった時、一般市民たちも「これから勉強して、私たちが政治を引っ張る」と最初は思っていたはずです。

 

その際衆愚政治などのリスクは一般市民側も自覚していて、だからこそ私たちがちゃんと学ぶべきだという意識は最初こそあったはずだと私は信じていますが、当時が分からないため只の希望的観測です。

 

そして現在。とりあえず日本では、そして恐らく、世界中の全ての民主主義はその意義を見出せてないように見えます。

 

人は楽をする生物です。特に飢える状況にない人間は脆く、周りが怠けるなら私も怠ける精神でどんどん堕落します。

 

そうして学習しなくなり、一般市民が政治参加する民主主義の利点を理解することなく、政治活動とは民衆をイエスマンにすることと同義になってしまった現在、民主主義なんて形だけしか残っていません。

 

そして民主主義の社会にて「私は分からないから教えて下さい」なんて言葉が公開討論の場で出てしまう。発言者本人が本音で言ったことなら本人の愚かさを嘆きますし、国民の声を代弁したなどと宣うなら建前でも民主主義社会で生活する日本人全員を馬鹿にしているようで怒りを覚えます。多分本人は国民を馬鹿にしていると思うのですが、そういう本質に触れず回りくどく日本国民を馬鹿にする姿勢は実に日本人らしく、非効率でやはり嫌悪感を覚えます。直接、民主主義国家で無知な貴方達国民は愚かであると発信して欲しいものです。

 

筆が乗ってしまいました。

私が言いたいのは民主主義って崩壊してるという事実です。私が気づくのが遅いだけ、みんな言わないだけで知ってたのでしょう。というか一般市民への周知期間が必要という点で民主主義運営のコストは膨大ですね。民主主義は国民全員の学習が必要なのに、学習した結果民主主義はありえないという結論しかだせない私には民主主義は矛盾してるという認識しかなく、私は民主主義社会で生きていくことそのものが不適格なのでしょう。

 

とりあえず政治について分からないから教えて欲しいという姿勢は民主主義社会に参画してる社会人の姿勢としては不適格です。そういう姿勢は20歳(18歳)までにしておくか、そもそも政治議論に参加しない方が有意義です。政治に参加せずとも大事な仕事は社会において幾らでもあります。今回のウーマンラッシュアワーの村本さんの姿勢に嫌悪感を覚え、愚民観意見に賛同したのはそういう背景があったというわけです。

 

 

ちなみにあれが国民の意見と言い放ったウーマンラッシュアワーの村上さんは、国民ともっと会話して欲しいと思いました。